小林董信のしごと

小林董信氏が1978年6月に共同購入団体「たまごの会」を設立してから、北海道のNPO活動を牽引し、人を育て、協働のネットワークを作ることに尽力した「しごと」への思いは、小林董信氏が紡いだ言葉から読み取ることができます。

1980(昭和55)年 1月12日(土)発行 読売新聞(夕刊)より

「商売でやっているんじゃありません。それに、自然食運動でもないんです。単にいい卵を食べよう、というんじゃない。卵をキッカケにして、多くの人がまず流通に興味を持ってほしい。どうすればいいタマゴを食べられるようになるか、自分で考えてほしいんです。そうした(消費者としての)活動を通じて、近所同士の交流が広まり、地域のコミュニティーづくりが進めば」

言葉をかみしめるように〈タマゴ・ルーツ〉運動の原点を語る。そして「店舗は絶対に持たない。ぼくらが、生産者と消費者の仲立ちをしてるんじゃない。あくまで一人の消費者として、消費者の分担として(タマゴの集配を)やっている」とも。(文 沢田 修記者)

 

1981(昭和56)年1月15日(木)発行 毎日新聞より

風の日も、雪の日も、札幌市内をトラックで走り回り、家庭に新鮮なタマゴを送り届ける若者たち「たまごの会」リーダー。

だが、ここまで来るのに市民生協、地区労の六年間が必要だった。市民生協の販売活動、地区労の地域活動否定から始まる。

新しい組織作りのターゲットに選んだのは、懸命にも主婦だった。「地域にいるのは主婦たちだ。しかし、知識がない。公害問題でもそう。僕らがやっているのは単なる商売ではない」と力説し「なんていうか、都市生活者運動だ」と胸を張る。

1983年 「たまごの会から生活クラブ生協へ  小林董信」(たまごの会組合員に向けて書かれた文章より)

☆たまごの会をつくった動機
話せば長くなりますが、はしょって言いますと、コミュニティの再構築というのが一つの夢としてあるわけです。近隣共同体、自主的、自発的な共同体を、この都会の中にどうつくるかというのが、僕にとってのたまごの会を始めた唯一の動機なのです。

☆苦しい中から見えてきたこと
この年(1978年)の12月2日(たまたま僕の誕生日)に、記念すべき、たまごの会設立総会を開いています。参加者は、わずか12名で、会則や加入金を決めています。
これは、専従者=配達人=主役で、利用者=買う人=お客さんという抜きがたい構図を、自ら利用し運営する主体としての会員と、会員と連携して日常の業務を遂行するための代理人としての専従者という役割分担を明確にする意味を持つものでした。

この当時苦しい中からわかってきたことは、専従者が一生懸命サービスすればするほど、利用者は受け身になり、専従者は生産者と”わがままな”消費者の間に入り、矛盾を一身に背負い、消耗していくということでした。

☆生協の歴史
日本に於いても、1900年頃から、消費組合ができてきました。その中で代表的なものが、賀川豊彦が創設した「神戸消費組合」と「灘販売組合」です。1927年に書かれた「家庭と消費組合」というパンフレットで、賀川豊彦は次のように述べています。
「…台所を管理する主婦が消費組合を利用することを面倒臭がっては、とうていこの堕落した癌腫のようになっている営利本位の社会組織を改造することはできない。私があえて家庭と消費組合を結びつけたいと思う理由は、全くここにある。私は1日も早く日本の主婦たちが眼ざめて男性と共に社会改造の最後の難点である金儲け本意の社会を、失業と恐慌のないような社会に立て直してもらいたい」
このように協同組合は、その時代、時代に起こる矛盾を自らの努力で克服しようとする試み—社会改革という側面を持っています。

☆生活クラブを一緒につくりましょう。
たまごの会の4年間の活動の成果をさらにより強固にし、発展させるために、私たちはたまごの会を生活クラブ生協に発展させて、より大きな運動体にしていきたいと考えています。
殻を破って”たまご”から”ひよこ”へ一緒に成長しませんか。

 

1997年 NODE 6号 「経済中心型社会からの決別、NPOこそ新しい市民社会の創造主体」から

(前略)

私は、このNPO法の施行をバネに市民活動団体の飛躍的な発展が必要と考えています。すでに、NODEの読者諸兄姉には周知の「NPO」という言葉も、その辺の街頭でランダムに訊ねたらおそらく、その認知度は一桁のパーセンテージに過ぎないと思われます。そこでまず、NPOという言葉をはやらせ、その認知度を高める必要性を痛感しています。

私は、こうした自発的に自由に活動している市民活動団体を、狭義のNPOと捉えています。その中でも、この20年くらいの社会の変化、環境や福祉、人権や人間形成、文化芸術活動や、まちづくりなどに対応する形で生まれた新しいタイプのNPOに注目しています。そうした市民活動団体の社会的認知の向上を図ったり、市民運動、市民活動、市民事業を行っている団体相互の連携(情報の共有、業務提携など)、企業・行政の市民活動団体支援制度の創出が急務との認識を持っています。

このような新しいタイプのNPOは、主体の意思が必要条件であることは言うまでもありませんが、社会構造の変化がその存在のための十分条件になると思います。なぜでしょうか。現代社会は、資本主義社会であり、その中核は営利団体としての企業です。しかし、その中身は資本主義の発達とともに変貌を遂げています。二十世紀が2度の世界大戦を経験した「戦争の世紀」であり、高度に発達した資本主義と社会主義が対峙した世紀であり、民主主義とグローバリズムが普遍的な価値を持ち始めた世紀と考えると、来るべき二十一世紀の社会構造を願望を込めて俯瞰すれば、企業の社会化、行政の社会化・流動化を前提とした「豊かな市民社会」となります。これは、民主主義(その基礎としてのインディビデュアリズム)とグローバリズムが普遍的な価値を持ち始めた二十世紀後半の成果を確実に発展継承させることが条件となります。

おっとと。話が大きくなりました。話をもどすと、この20年くらいの日本の社会構造の変化は、その前の20年(60年代から70年代)の「都市化」、「所得倍増」、「核家族」、「マイホーム」、「三種の神器・新三種の神器」といったキーワードに象徴される高度経済成長の終焉がもたらしたものです。80年代末から90年代初めのバブルのあだ花はありましたが、基本的には「低経済成長ではあるが物質的には充足している」、「就業形態のゆるやかな変化」、「価値観の多様化」、「若者のモラトリアム(親世代のゆとり)」、「退職年齢層の生きがいの模索」、「専業主婦の生き方の多様化(シャドーワークからGDPワークへ、消費支出の増加)」などが特徴になっています。

これらの特徴を体現する人々は、企業社会の周縁部に存在していますが、無視できない社会的勢力となりつつあります。当事者が自覚しようがしまいが、こうした部分に光を当て、社会システムの中に位置づける必要があります。(こうした社会システムにはめ込む必要のない市民運動もたくさんありますが)。

切り口を換えてみると、行政セクター(公)、市民セクター(協)、企業セクター(私)、「公・協(共)・私」の3つのセクターのうち、協(共)の部分が極めて小さい日本社会に、協(共)を限りなく拡大する、公共と言う言葉で共の部分を行政の補完にしてきた社会システムの構造改革を迫る運動でもあるのです。

協の部分は非営利であり、自発的であり自覚的市民が主体をなすが故に、行政の持つ「お上意識・官僚制」や企業の「独善」に対する牽制の機能を持つことになり、このことが、二十一世紀の豊かな市民社会を形成する必要条件となります。(NPOをバラ色に描くきらいがありますが、例えば「市民・企業・行政のパートナーシップ」と言う言葉は、NPOが気をつけないと、行政の安上がりの下請け化の思惑にからめとられたり、企業の社会貢献活動のダシにされたりする危険も内包しています)

その契機となるのがNPO法制度の整備です。NPOが法人になると、法律の保護を受けると同時に規制も受けます。今回の法律は、基礎控除制度がない、対象領域の限定、政治活動規制、暴力団排除条項など、不十分ないし不必要なものも含んでいますが、現在非営利で市民事業をやっている団体を中心に法人格取得によって、契約行為の簡便化や団体とメンバーの権利義務関係がはっきりする点や、非営利にもかかわらず、営利の法人格を持つ団体の移行が可能になる、活動計画・事業計画・経理の公開(ディスクロージャー)による、透明性や社会的認知の増大といったメリットがあります。

かつて、労働者が、資本家に雇用されながら、団結して労働組合に結集し社会主義を標榜し、資本家を打倒して労働者の権力を指向し挫折しましたが、新しい試みは、常に体制の胎内で生まれ、力を得て、体制変革を指向します。NPOは公私に育まれながら、公私の領域を縮小し、自己拡大していきます。「豊かな市民社会」はこのことによって、実現します。まだ萌芽段階ですが、この動きを加速させる活動に多くの市民が参加することを願っています。